令和4年度企画展 県政150周年記念 愛知県のはじまりと県庁のあゆみ
令和4年度の企画展では、明治5(1872)年に愛知県が誕生してから150年を迎えた記念として愛知県の誕生から戦後までの歩みを展示しました。
デジタル展示室では、展示した資料の中から、県公報や郡役所文書、写真資料など様々な資料を紹介します。
1 あゆち潟
県名の「愛知(あいち)」は、当時の県庁所在地の郡名である愛知郡からつけられました。
「あいち」は、「あゆち(吾湯市、年魚市などと表記)」から転じたもので、『万葉集』で高市黒人(たけちのくろひと)が「年魚市潟(あゆちがた)」を歌枕にした和歌を詠んだことで知られています。
和歌の左には、雅楽歌謡の一種である催馬楽(さいばら)が詠まれています。
E12-12 尾張名所図会 前編 第五巻
2 新県取計心得
明治4(1871)年11月、全国規模での府県の大統合が行われて75府県となり、大蔵省第111号(法令全書) で新県取計心得が出されました。
資料には、県の統合などで廃県となった場所を出張所として従前のとおり事務を取り扱うようにとあります。「従前」という言葉が多くみられることから、旧県と新県の引継ぎがスムーズに行われるようにしていたことがうかがわれます。
E2-18 県治職制 新県取計心得 海西方
1 宝飯郡役所開庁祝詞
この資料は、郡役所開庁の際の様々な祝詞を貼りつけた巻物です。
明治11(1878)年12月に郡役所が初めて設置された後、同13年11月4日に宝飯郡御油(ごゆ)村字美世賜(みよし)(現豊川市)に新築移庁した宝飯郡役所の開庁式が行われました。
当時の愛知県令国貞廉平(くにさだれんぺい)は、開庁式当日に所用で臨席できなかったため、一週間後の11日に初めて新庁舎を訪れ、祝詞を述べました。
E19-1 宝飯郡役所開庁祝詞
2 田代村の村長に就任
この資料は、本館所蔵資料の宮脇家文書の一つで、愛知県職員であった宮脇正臣が愛知郡田代村の村長に就任することに対する知事からの許可書です。
村長は、町村会において住民の中から選出する間接選挙で選ばれました。病気などの理由なく就任を拒否したり任期途中で退職したりすると、町村税を増やされて公民権が止められました。村長の任期は4年で、無給の名誉職でした。任用には、県知事の辞令交付が必要でした。
県職員であった宮脇は休職扱いとなり、明治37(1904)年5月、田代村の村長に就任しました。
W1-40 (田代村長就職の件許可)
3 御真影を県庁へ奉還(大正15年・1926)
この資料は、郡役所の廃止にともない、東加茂郡役所に下付されていた御真影を県庁へ奉還した際の記録です。大正15(1926)年5月31日午前9時より郡役所で奉還式を行い、郡長と主事の2名が御真影を奉戴し、巡査の付き添いのもと午後3時に県庁正庁に奉還したとあります。
※御真影とは、天皇の視覚化のため府県庁や軍隊、学校などに下付された天皇・皇后の公式肖像写真を指し、正式には御写真と言われます。
E17-5 事務功程書
4 郡役所の位置
明治11(1878)年に郡区町村編制法が施行されたことにより設置された郡区役所の位置として、愛知郡役所をはじめ18郡役所と、名古屋区役所が記されています。資料にあるとおり丹羽郡と葉栗郡、海東郡と海西(かいさい)郡は2郡で一つの郡役所でした。その後、明治24年の郡制施行により1郡に1郡役所設置することになり、これまで郡役所のなかった郡にも郡役所が設置されました。
E3-90 行政庁(県庁郡役所位置)
5 宝飯郡の要覧
この資料には、大正元年調べの宝飯郡の政治・経済・文化などの情勢が載っています。
表面では、町村間の距離や郡役所までの距離が表にされており、郡内の地図も載っています。
なお、裏面には、気象や農業、財政などの統計資料から宝飯郡の当時の状況を知ることができます。
318.1=26-912 愛知県宝飯郡治一斑 大正元年
1 南久屋町の愛知県庁舎(明治10年・1877)
明治10(1877)年6月19日に、南久屋町で新築開庁した県庁舎は、アーチを多用した木造2階建ての洋風建築でした。妻面(つまめん)と呼ばれる建物の棟に直角に接する側面には菊花紋章が付けられ、洋式の中に日本らしさを取り入れた建物でした。
Q000000-C(0457) 愛知県庁(明治10年新築)
2 地籍図(明治17年・1884)
この資料は、明治17(1884)年1月調べで作成された地籍字分全図(地籍図)の一部分です。
中央に「15番 愛知縣廰」の記載があります。当時、愛知県庁は南久屋町に置かれていました。
赤色の線は道路を意味し、県庁の位置は左から伸びている広小路通の終点に位置していました。
地籍図 名古屋区1 人
3-1 南武平町に移転(明治33年・1900)
この資料は、明治33(1900)年3月31日の県公報です。
南久屋町に建っていた県庁を「南武平町元第一師範学校跡へ移転」すると当時の県知事が告示しています。
D34 愛知県公報 明治33年
3-2 南武平町の愛知県庁舎
南久屋町の県庁舎は、広小路通の延伸計画の支障となったため、明治33(1900)年4月1日に、南武平町の旧愛知県第一師範学校跡地に新築移転しました。
新庁舎は南向きで建てられ、広小路通に面して門を構えた木造2階建ての和風建築でした。
P1-89 愛知県庁舎等の写真
4 建築中の愛知県庁舎
愛知県庁本庁舎は北隣にある名古屋市役所本庁舎と同じ帝冠様式で、県庁の基本設計は渡辺仁と西村好時の両氏の案を基本に、佐野利器と土屋純一の指導を受け、県営繕課の職員が実施設計を行ったとされます。
昭和10(1935)年10月24日に起工式が行われました。総工費300万円の予算で着工し、敷地面積は10,087坪で、戸田組が施工を担当しました。そして、同13年3月22日に竣工しました。
Q000000-B(0023) 全景 西南より
1 当選の告示(昭和22年・1947)
第1回愛知県知事選挙は、日本国憲法の施行を控えた昭和22(1947)年4月5日、第1回統一地方選挙において投票が行われました。投票率は76%で、立候補者6人の中から青柳秀夫(あおやぎひでお)が当選しました。
この資料は、愛知県知事選挙で、青柳秀夫が当選したことを知らせる告示です。4月7日に選挙長から出されています。
D108 愛知県公報 昭和22年
2 知事選で当選し初登庁の桑原知事
これは、第2回愛知県知事選挙(昭和26(1951)年)で、決選投票の末に当選した桑原幹根(くわはらみきね)が初登庁したときの写真です。旧議場(現講堂)で、職員に向かって就任演説をしている時の様子です。
Q000000-C(0633) 知事選で当選し初登庁の桑原知事