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平成28年度 開館30周年記念特別展 厳選!公文書館の逸品

平成28年度の企画展では、昭和61年に開館した愛知県公文書館が30周年を迎えたことを記念して、「開館30周年記念特別展」として開催し、普段は複製でしか見ることができない貴重な資料の原本や初公開の資料のほか、絵図や写真を始め文字資料以外の品など、本館が所蔵する資料の中から特に貴重な資料、面白い資料を厳選して展示しました。
このデジタル展示室では、当時展示した資料の中から明治時代から大正時代の資料である「郡役所文書」や昭和時代の公文書などの面白い資料を中心に紹介します。資料から伝わる当時の愛知の姿をお楽しみください。

愛知県知事肖像画・写真解説
公文書館には、初代から第30代まで(第20代を除く)の愛知県知事の姿が第4代までは肖像画で、それ以降は写真で残されています。
ここでは、初代愛知県権令(ごんれい)である井関盛艮(いせき もりとめ)の肖像画を紹介します。
郡役所文書解説
郡役所は、明治11年に県と町村の間に位置する地方行政官庁として設置され、約50年間にわたって郡行政や町村の監督などを行い、大正15年に廃止されました。郡役所の文書は、郡役所廃止後に県庁に移管されましたが、その後、大部分が廃棄され、わずかに残された文書を本館で保存しています。本館の「郡役所文書」には、当時の各郡役所が作成した公文書のほか、様々な経緯で郡役所が所有していた資料が含まれています。
昭和の愛知県政解説
行政機関が作成又は取得した公文書の中には、当時の県民の生活や社会の動きなどの時代背景を読み取ることができる資料が数多くあります。
ここでは、昭和以降の公文書の中から、県章や県庁舎などの県民に馴染み深い事柄を通して、愛知県政のあゆみや当時の世相・生活・習慣などをうかがい知ることができる資料を紹介します。

1 初代愛知県権令 井関盛艮

初代愛知県権令(ごんれい)には、名古屋県権令であった井関盛艮(いせき もりとめ)が就任しました。なお、権令(県令)とは、現在の知事に相当します。
井関盛艮は元宇和島藩士で、愛知県権令、島根県権令などを歴任しており、神奈川県知事時代には、日本初の日刊新聞「横浜毎日新聞」の発行企画を行っています。

資料情報 P6 歴代愛知県知事肖像画・写真

1 三河国東加茂郡実測図 三(明治17年)

この資料は明治17年に作成された縮尺6千分の1の実測図です。東加茂郡の全域が6枚に分割されており、村や郡の境や県道、里道などだけではなく、山脈や川などが詳しく描かれており、自然豊かな地域であることがうかがえます。右中央には東加茂郡役所の所在地であった足助村が記されており、左上の図は足助村付近の拡大図です。

E17-15 三河国東加茂郡実測図(郡役所文書)

2 愛知郡会議事堂(大正3年)

「郡有財産台帳」には、各郡が所有する財産が記入されており、愛知郡会議事堂が愛知郡の所有財産として、その図面とともに記載されています。当時、郡役所には議決機関である郡会が置かれていました。

E3-72、73 郡有財産台帳 甲、乙(愛知県庁文書)

3 東加茂郡役所・第1回国勢調査(明治・大正)

この写真帳には、東加茂郡役所の開庁した明治15年から廃庁した大正15年までと、昭和25年の足助町役場増築などの昭和20年代の東加茂郡の写真が収められています。
左は東加茂郡役所の写真で、右は「第1回国勢調査」の文字が見られることから、大正9年の国勢調査の際に撮影された写真と思われます。

E17-19、20 (東加茂郡関係写真帳)(郡役所文書)

4 愛知県知多郡役所棟札(明治17年)

棟札(むなふだ)とは、建築物の造営や修復の際に建築関係者や建築年月日などを記した札のことです。
「愛知県知多郡役所棟札」は、知多郡役所の創立時に作成されたもので、知多郡役所が明治17年11月19日に竣工したことや、当時の県令(知事)や知多郡長を始め、創立に携ったと思われる職員の氏名などが記されています。

E12-10 (愛知県知多郡役所棟札)(郡役所文書)

1 名古屋城近辺の航空写真(昭和48年)

昭和48年度に撮影された航空写真は、当時の公害対策課が土地利用や自然環境、開発の状況を把握するため、県内全域をくまなく撮影したものです。撮影から多くの年月が経過し、作成時の行政目的を終えていますが、貴重な歴史的資料であるとの見地から平成12年度末に本館の資料として収集されました。この航空写真の左側にある堀川付近には名古屋城、中央には愛知県庁が写っています。

P23 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 No.10-1.C20-24

2 愛知県庁舎等の写真(昭和13年頃)

昭和13年に竣工した現在の愛知県庁本庁舎は、昭和天皇御大典の記念事業の一つとして建設されました。洋風の建物に城郭風の屋根を載せた「帝冠様式」と言われる建築様式で、名古屋城と、先に完成していた名古屋市役所本庁舎との調和にも配慮して設計されました。
左は、愛知県庁舎の工事中の写真で、奥には名古屋市役所が見えます。右は完成した愛知県庁舎の写真で、特徴的な屋根も確認できます。

P1 愛知県庁舎等の写真

3 愛知県庁舎平面図 3階(昭和16年)

愛知県庁舎には、昭和16年当時、警察部署も置かれており、地階には留置場も存在していました。この平面図の右側の中央には知事室、左上部の角には警察部長室があり、同じ3階に部屋がありました。

A34325、A34326 昭和16年3月(現在)庁舎平面図会計課

4-1 愛知県章比例図・応募作品(昭和25年)

昭和25年に第5回国民体育大会が愛知県で開催されたことを契機として、愛知県章と県民歌が一般公募によって制定されました。
約1600点の応募作品の中から選ばれた県章は、あいちの「あ」を図案化したもので、中央県、工業県の印象と、大洋に面し、旭日と波頭を表徴し、希望と発展性を表現しています。
右の資料は選ばれた応募作品で、左の資料はそれをもとにデザインされた県章の比例図です。なお、その他の応募作品も100点以上を本館で所蔵しています。

A28907 愛知県章・県民歌制定関係

4-2 愛知県民歌 ”われらが愛知”の ビラ配布について・レコード盤(行進曲「われらが愛知」)(昭和25年)

県民歌も歌詞を一般公募し、約1000点の応募作品の中から「われらが愛知」が選ばれ、作詞家が補作し、作曲家が曲を付して完成しました。

A28907 愛知県章・県民歌制定関係

5 桑原幹根知事の式辞(昭和47年)

昭和47年は、明治5年11月27日に当時の愛知県と額田県が合併して、現在の愛知県が誕生して100年目となりました。
そのため、これを記念して「県政100年記念事業」が行われました。この資料は、1600人が参列した県政100年記念式典での桑原幹根(くわはら みきね)知事の式辞です。「戦後26年を経て、制度的に定着した地方自治の面で行政内容の充実や民主化、能率化などが強く求められており、先人の偉業に学び、現在の愛知をみつめて、今後の県政を展望する基礎を築き、幸せな愛知の200年をめざす」と述べています。

A22705 100年記念式典関係綴

6 果樹彩色画(昭和48年)

果樹彩色画は、昭和56年に刊行された「愛知県園芸発達史」の編さんのために収集された資料の一部と推定されますが、同書には使用されていません。園芸試験場蒲郡分場の関係者が職務上作成したものと思われ、全部で89点に及びます。それぞれが詳細な写生で、品種名、重さなどを書き添えています。

L4-8~18 果樹彩色画 1~11・(園芸発達史修史資料)

7 団栗集荷ニ関スル件報告(学校長) (昭和20年)

田口農林学校は、昭和16年に北設楽郡で開校し、昭和24年に廃止されていますが、その間に田口農林学校宛に送られた受付文書と田口農林学校から送られた発送文書が本館に保管されています。これらの資料には、当時の生活を窺い知ることができる文書が数多く含まれています。
資料は田口町農業会長から校長あてに送られた、食糧の供出を要請する文書の返答です。食糧とするために集荷した団栗の数量と、今後集荷できる予想の数量が記されています。

N54 発送文書綴(田口農林学校関係資料)

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