解読問題
 

灰世話方への申付 ①

解説

この史料は、尾張国海東郡蟹江新田村(現在の海部郡蟹江町)で庄屋を務めた戸谷家の文書で、灰の売買に関する史料です。
江戸時代、竈で薪や藁などを燃やして食事の準備をするなど、日々の暮らしで出た灰は、酒造りや染色、肥料などの様々な用途に再利用されていました。そのため、各家では「灰部屋」に灰を保管し、「灰買い」という業者が各家を巡回して灰を買い集め、「灰仲買」や「灰問屋」に卸していました。
天保12年(1841)、幕府が江戸十組(とくみ)問屋に対し問屋・仲間・組合などの廃止を命じたのを契機に、株仲間解散令が全国に展開されていきます。尾張藩でも、翌13年5月に商品取引市場を開放し、一般商人が市場で直接売買できるようにしました(問屋株の廃止)。これにより、灰の売買においても、灰仲買、灰問屋の独占的な営業はなくなりました。
しかし、数年を経た弘化4年(1847)には、廃止された灰問屋は「灰世話方」、灰仲買は「灰売買之者」という名称で再び営業が認められるようになります。
この史料は、それに先立つ弘化3年12月のものですが、蟹江新田村の黒川林蔵と戸谷新平、宇治村(現在の津島市宇治町)の大杉茂右衛門の3人が「灰世話方」に任じられ、以前と同様に灰の船積みを行い、佐屋代官所の湊附同心が来て灰俵の数を改めると書かれています。さらに、船積みの際に留意すべきこととして、以下の5点が述べられています。
一 以前、灰仲買人が取り立てていた上前銭(うわまえせん)を冥加銭(みょうがせん)と呼ぶこと
一 冥加銭の取り立てをはじめ、取締りに関する事項は相談して勤め、万一、灰を無断で運搬する者がいた時には必ず差し留め、代官所に申し出ること
一 灰の他国への運搬(他国積み)は元々禁止しているが、大宝新田(現在の海部郡飛島村)の長尾長五郎と鯏浦(うぐいうら)(現在の弥富市鯏浦町)の木下理右衛門には許可しているので、自国・他国とも区別なく取り計らい、冥加銭の内、他国積みの分は先の2人に渡すこと
一 冥加銭は、当年より5年間、大俵は1俵につき3文、中俵は1俵につき2文、小俵は1俵につき1文を徴収して世話方で預かり置き、盆前と暮の年2回、正金(現金)に引き換えた上で、湊附同心が改めた帳面とともに提出すること
一 以上4点のほかにも、取締をする上で、気付いたことがあれば、遠慮することなく陣屋に申し出るべきこと
最後に但し書として、他国積みの分は船積帳面を別にしておき、この分の冥加銭については本文で申し渡したとおりとするよう記されています。
この史料から、幕末の尾張藩の流通政策の一端をうかがい知ることができます。
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