解読問題
 

陣屋建替への献金

解説

この史料は、尾張国海東郡蟹江新田村(現在の海部郡蟹江町)庄屋の1人である戸谷新平が、佐屋代官所の改築のために金2両の献金を願い出て許されたことが書かれた申渡し書です。
当時の佐屋(現在の愛西市)は、東海道の脇往還である佐屋路において、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)への渡船場がある交通の要衝であったため、尾張藩は天明元年(1781)に佐屋代官所を置き、管轄する109か村の租税徴収をはじめ、地方行政全般を担わせていました。
弘化4年(1847)に行われた佐屋代官所の改築については、『佐屋町史 史料編1』に詳しく述べられています。当時、代官所の建物は雨漏り等で腐朽し、平常の執務にも不自由な状況でした。これを嘆いた海西郡の大惣代であった荷之上村(現在の弥富市)服部弥兵衛が、金10両と杉材10本を献納したいと願い出たことにより、藩の勘定方に陣屋の見分を依頼することになりましたが、藩財政が窮迫していたため先延ばしにされ、遂に管内の有力惣代等の自発的な献金によって改築が決行されました。
蟹江新田村は、江戸時代には尾張藩の佐屋代官所が管轄する蔵入地(藩の直轄地)であり、戸谷家は、蟹江新田村方惣庄屋役などを務める村の有力者でした。前出の『佐屋町史 史料編1』に収録されている史料「佐屋陣屋上梁文」にある「初献金人別村名 海東郡之部」の中にも、献金者として「蟹江新田 戸谷新平」の名前があります。
そもそも代官所は藩庁の出張所であり、本来は藩費で改築すべきものですが、表向きは献金許可願いという形をとってはいるものの、領民の献金によって賄われたという事実は、藩の財政がいかに逼迫していたかを如実に物語っています。
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