解読問題
 

庄屋の特権

解説

これら二つの文書は、江戸時代に海東郡蟹江新田(現海部郡蟹江町)で庄屋を務めた戸谷家の文書で「苗字・帯刀」と「宗門自分一札」に関するものです。戸谷家は、江戸時代に蟹江新田の惣庄屋を務め、尾張藩から日光川堤見廻役、櫨(はぜ)木見廻役、御小納戸役所御用達などに任命された村の有力者です。前半の文書は文政6年(1823)、後半の文書は包紙に「天保 年」の記載があることから、いずれも江戸時代後期に作成されたものです。
前半の文書は、庄屋を務めている間は苗字を名乗ってよいこと、加えて父に引き続き櫨木見廻役に任命するので、その御用で代官所等へ出向く時は帯刀してもよいことが尾張藩から認められたという内容です。後半の文書は、凶年が続き(天保の飢饉)、困窮者に対して施物を行うなど奇特なことをしたので、一代限りでの「宗門帳一判改」(「宗門自分一札」)を許すという内容です。毎年行われる宗門改めでは、農民等の家族・奉公人等の人名・年齢・性別や檀那寺等を一村ごとにまとめて寺社奉行に提出しましたが、兵左衛門は、自分の家族を一判(札)にして寺社奉行に提出する特権を、一代限りで許されたということです。
文書にある「苗字・帯刀」や「宗門自分一札」は武士身分の特権でしたので、百姓身分の庄屋に許されることは大変名誉なことであり、庄屋の村内外での立場を高めたと想像されます。江戸時代後期から末期には、庄屋による尾張藩への調達金や献金の見返りとして、こうした特権の付与が急増したと言われています。
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