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【11】安政2年4月 熱田新田二十一番割のうち井桁屋彦兵衛より尾張藩へ差出しの地所買受けにつき同藩勘定方より信濃屋嘉八宛て達書

【11】安政2年4月 熱田新田二十一番割のうち井桁屋彦兵衛より尾張藩へ差出しの地所買受けにつき同藩勘定方より信濃屋嘉八宛て達書

基本情報

資料名 【11】安政2年4月 熱田新田二十一番割のうち井桁屋彦兵衛より尾張藩へ差出しの地所買受けにつき同藩勘定方より信濃屋嘉八宛て達書
資料群名 愛知県立大学蔵熱田新田文書(B910002-001)
請求番号/資料名 00-00027-01/(申渡)
詳細情報 (申渡)

解説

 この史料は、安政2(1855)年4月に尾張藩勘定吟味役頭杉山三郎兵衛他から信濃屋嘉八に出された達書(申渡し状)です。内容は、井桁屋彦兵衛が去る酉(嘉永元<1848>)年藩に差し出した熱田新田(現名古屋市熱田区・中川区・港区)二十一番割の土地を、信濃屋嘉八が購入したいと申し出たので、代金400両を支払うように申し渡すというものです。勘定方は「払方根」すなわち支払い方法については大代官(名古屋の町続地や新田部分等を管轄していた代官)に聞くよう指示しています。史料には「四月」としか記されていませんが、関連史料から安政2年のものと推定しています。
 7年前に井桁屋は新田地主経営を放棄して土地を藩に差し出していました。しかし、藩側は直営として経営することが困難になったのでしょう。勘定所が新たに新田地主を探して売却したわけです。ただし、この史料の最後の方には、元地主としての井桁屋の権利を留保しているような記載がみられます。万一井桁屋から土地の返却要求があった場合には、勘定所として返却することになるかもしれないので、その時は信濃屋に代金400両を返金し土地を勘定方に引き上げるとしているのです。以上の点は、近世期の土地所有にかかわる議論として非常に興味深いものがあります。
 【11】~【14】は関連史料です。
 なお、信濃屋嘉八は信濃屋嘉八郎・中井嘉八郎・関戸嘉八と表記されることもあり、信濃屋関戸家の人物であると思われます。信濃屋関戸家については【6】をご覧ください。
 また、熱田新田については【16】をご覧ください。

※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。

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