基本情報
資料名 | 【41】慶応4年6月 宿・助郷一体組立てにつき駅逓司より改正仕法書 |
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資料群名 | 名古屋市吉田家文書(B010034-001) |
請求番号/資料名 | 15-00031/御用御触留 弐拾四番 |
詳細情報 |
御用御触留 弐拾四番 |
解説
この史料は、明治改元の3か月前である慶応4(1868)年6月に、新政府の駅逓司から出された改正仕法書の写しです。駅逓司とは、同年4月に太政官・会計官の下に設置された、交通・郵便をつかさどった官庁です。この官庁は後に郵便事業を行い、逓信省の所管となります。
江戸時代、交通の要所には荷物を運搬する人馬の中継ぎや旅客の宿泊を任務とする宿場と、宿近くの村々に対して幕府が人馬提供の課役を課した助郷がありました。様々な費用がかさむこともあり、村々にとってこの課役は大きな負担となり、それが原因で助郷騒動も起こりました。そのため新政府は、宿と助郷を一体化させる政策をとりました。人馬の中継ぎをした問屋場責任者の問屋役人や、宿に設けられた事務所に駐在する助郷惣代を廃止し、伝馬所取締役を置きました。この役は、宿・助郷組合の中から選出されました。また、助郷に御料・宮堂上(*1)領・社領・寺領を加え、村の負担を軽減させました。改正法は、助郷の役人をはじめとして府県や領主等にまで公布されました。この史料は、新政府による交通改革の内容を知らしめるものです。
*1…堂上は五位以上の昇殿(内裏清涼殿の殿上の間に昇ること)を許された者の称。のちには公卿・殿上人の総称から公家一般の称ともなった。
※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。