解読問題
 

農民の養子縁組

解説

江戸時代はキリスト教など特定の宗教の信仰が幕府により禁じられていたため、当時の人々はその信徒ではないという証明を、自身の所属する檀那寺から受けていました。これを「宗門請合」といいます。そこで、婚姻などで住む村が変わる場合は、その人物の身元保証書を転出先の村へ提出するのが常でした。
この文書は文政13年(1830)、愛知郡相原村(現名古屋市緑区)から前之庵村(同緑区)へ養子に出される子どもについて、相原村の庄屋と組頭とが連名で、養子縁組先である前之庵村の庄屋宛てに宗旨を保証したものです。当人の宗旨は浄土真宗、愛知郡沓掛村(現豊明市)正福寺の檀家であり、これまで特段の問題はなかったことを伝え、今後は前之庵村の「宗門御改之帳面」(宗門人別改帳)に名前を書き入れるよう依頼しています。
なお、保証人として庄屋とともに名を連ねている組頭は、村方三役の一つとして庄屋を補佐する村役人のことで、村の規模にもよりますが、村内に一人ないし数人おり、筆算のできる人物が選ばれ、年貢の計算や文書の作成などを担当していました。
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