解読問題
 

尾張藩の改名規程

解説

この史料は、尾張藩士が勤務するうえで必須と思われる法令・規則を抜き書きしてまとめた「摘要記」(名古屋市大塚三右衛門家文書)の一部で、藩士が改名する際の諸規程が記されています。
元禄4年(1691)9月25日の項では、旗本と同姓同名の藩士はすぐにでも改名しなければならないとしています。
安永7年(1778)3月22日の項では、古代から官名として使用されてきた「武蔵」「大蔵」「内蔵」などは、読み方を知らなければ官名と紛らわしいため、以後は認めないなどの規程が記されています。特に、「武蔵守」は将軍が居住し、政務を行う江戸城がある「武蔵国」を指すことから、名前としての使用は全面禁止されたようです。
文化元年(1804)9月7日の項では、今後改名の願書を提出する際には、改名する名前を先に記載するようにとの規程が記されています。
文化7年2月19日の項では、「禁字」による改名の規程が記されています。これは、江戸時代に諸藩で藩士や領民に対して出された「禁字法令」というものです。
「禁字」は、藩士や領民が自分の名前に、藩主や藩主の子の実名や実名に含まれる文字を使用したり、実名や実名に含まれる文字と同音の名前や文字を使用したりすることを禁じるものです。たとえば、藩主の嫡子が生まれて「秀之助」と名付けられた場合は、「秀之助」はもちろん、「秀之介」や「英之助」「英之介」という名前の者は改名を強いられたということです。
ここでは、将軍家の子女や紀伊徳川家・水戸徳川家の嫡子について、名前の頭字や読みが同じになる字は改名しなければならないとしており、尾張藩が藩主家と同じ御三家である紀伊徳川家・水戸徳川家の一族に対しても敬意を払っていることがわかります。なお、水戸藩においても、文化3年に尾張徳川家・紀伊徳川家の嫡子の名前を使用することを禁じる禁字法令が出されています。
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