令和6年度企画展 あいちの公園メモリーズ ―公園のはじまりと愛知青少年公園、万博の思い出―
令和6年度の企画展は「公園」をテーマとし、愛知県内の公園のはじまりとその歴史を紹介しました。
また、愛知県の公園の歴史を語る上で欠かせないのは、平成17(2005)年の愛知万博の開催です。万博の主会場に選ばれた愛知青少年公園を取り上げ、開設からの過程を万博の思い出とともに振り返りました。ここでは主に航空写真を使って紹介します。
1 航空写真 小牧山周辺(旧小牧公園周辺)
この写真は、航空写真のうち小牧山付近を拡大したものです。
小牧山は、織田信長が小牧山城を築城し、徳川家康が小牧・長久手合戦で本陣を置いた場所です。近世では尾張藩により管理されていましたが、明治2(1869)年の版籍奉還により官有地となり、明治5年に民間へ払い下げられました。しかし、翌年に県が小牧山を買い戻して、小牧公園を開設しました。この小牧公園が、愛知県が開設した最初の公園です。
しかし、尾張徳川家が小牧山の払下げを所望し、県もこれを認めたため、明治22年に公園は廃止されました。その後、昭和2(1927)年に国の史跡に指定されたことを受けて、昭和5年に尾張徳川家から東春日井郡小牧町(現小牧市)に同地が寄付され、現在に至ります。
P14 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №5-2 C11-19(一部を拡大)
2 航空写真 犬山城周辺(旧稲置公園周辺)
この写真は航空写真を拡大したもので、矢印の先には犬山城があります。
稲置公園は、犬山城一帯の保存を地元の有志が県に願い出たことを契機として、明治8(1875)年に開設されました。その後、濃尾地震の被害により明治28年に公園は廃止され、旧犬山藩主成瀬家に土地等が譲与されました。成瀬家は犬山城地管理規程を制定し、犬山城地は丹羽郡犬山町(現犬山市)と旧犬山藩士とが管理する体制をとりました。
P7 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №1 C4-9(一部を拡大)
3 航空写真 岡崎城周辺(旧岡崎公園周辺)
この写真は航空写真を拡大したもので、矢印の先には岡崎城があります。
岡崎城の廃城後、土地や建物等の払下げが順次行われていましたが、国が「故跡」又は「公園」として地所を保存するよう県に求めたため、明治8(1875)年に県により岡崎公園が開設されました。
しかし、予算不足のため維持管理ができず、公園が荒廃したことを憂えた旧岡崎藩主の本多家が公園の払下げを願い出て、これが認められました。こうして県営としての岡崎公園は廃止されました。
その後、額田郡岡崎町の市制移行や三英傑顕彰機運の高まりにより、大正7(1918)年に本多家から土地等が岡崎市に寄付され、再び岡崎公園が開設されました。
P41 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №19-1 C38-34(一部を拡大)
4-1 航空写真 那古野山公園周辺(旧浪越公園周辺)
この写真は航空写真を拡大したもので、矢印の先には浪越公園の一部を引き継いだ那古野(なごや)山公園があります。なお、写真上部にある広大な公園は白川公園です。
浪越公園は、廃寺となった清寿院(せいじゅいん)跡を公園にしたいという有志の請願を受けて、明治10(1877)年頃に県により開設された、名古屋市域で最初の公園です。
しかし、土地が狭かったため、鶴舞(つるま)公園の建設が決定すると、明治42年に浪越公園は廃止となりました。
跡地は売却されましたが、公園の敷地にあった古墳部分の那古野山は名古屋市へ譲渡されて那古野山公園となり、現在は那古野山古墳公園となっています。
P25 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №11-1 C22B-7(一部を拡大)
4-2 尾張名所図会 清寿院
清寿院(せいじゅいん)は、修験(しゅげん)宗の寺院で、富士浅間(せんげん)神社(名古屋市中区所在)の別当寺(べっとうじ:神社を管理するための寺)でした。明治維新後の神仏分離と修験宗廃止令により、明治5(1872)年に廃寺となりましたが、境内の一部が浪越公園となりました。
この資料は、江戸時代後期に作成された「尾張名所図会」の1ページです。門前町通と仁王門通に囲まれた広大な境内がある清寿院は、見世物興行が盛んで、大いに賑わっていました。
E12-12 知多郡役所文書 尾張名所図会 前編1
5-1 航空写真 鶴舞公園周辺
この写真は航空写真を拡大したもので、鶴舞(つるま)公園とその周辺が写っています。矢印の先には本来噴水塔がありますが、この写真が撮影された頃は、地下鉄工事のため一時撤去されていたものと思われます。
鶴舞公園は長年開設が望まれていた大公園で、精進(しょうじん)川(現新堀川)の開削工事と、地方博覧会である第十回関西府県連合共進会の誘致を契機として、名古屋市により開設されました。工事は明治40(1907)年に始まり、田園地帯であった鶴舞公園の敷地は、精進川開削で発生する残土で造成されました。
明治43年に開催された第十回関西府県連合共進会の閉幕後は、洋風庭園と日本庭園を併せ持った公園へと整備が進められ、大正9(1920)年頃に完成しました。
P25 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №11-1 C22B-9(一部を拡大)
5-2 第十回関西府県聨合共進会会場案内図
明治43(1910)年、鶴舞公園で地方博覧会である第十回関西府県連合共進会が開催されました。全国から3府28県が参加し、来場者も当時の名古屋市の人口約40万人を大きく上回る約263万人に達し、大いに賑わいました。
この資料はその共進会の案内図で、多くの展示館のほかにも噴水塔や池などが配置されていたことがわかります。
会期終了後は仮設建物が撤去されましたが、噴水塔や一部の施設は名古屋市に寄付されており、現在の鶴舞公園でも見ることができます。
B730008-001 新城市榊原淳一郎氏収集資料 18-00107 第十回関西府県聨合共進会会場案内図
5-3 [第十回関西府県連合共進会]出品台帳第壱区
この資料は、第十回関西府県連合共進会に関するもので、当館で所蔵している共進会の出品台帳はこの1冊のみです。「第壱区」とあるのは、出品区別のことだと思われます。繊維工業関係の出品台帳で、品名や代価、出品人などが記載されています。
E3-70 愛知県庁文書 [第十回関西府県連合共進会]出品台帳 第壱区
6 航空写真 中村公園周辺
この写真は航空写真を拡大したもので、中村公園とその周辺が写っています。中村公園の上部にある赤い楕円の建物は名古屋競輪場です。
明治維新後、地元有志を中心に秀吉を顕彰しようとする動きがみられるようになりました。明治31(1898)年の豊公300年祭(豊臣秀吉没後300年)を機会に、保存会が秀吉生誕地周辺の土地を購入して県へ寄付したことにより、明治34年に県は中村公園を開設しました。
中村公園が秀吉ゆかりの地の保存を目的として設置されたことにより、信長ゆかりの清須、家康ゆかりの岡崎の史跡を、県が保存していくべきだという意識が高まりました。
P23 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №10-1 C20-19(一部を拡大)
7 航空写真 清洲公園周辺
この写真は航空写真を拡大したもので、五条川の横にある清洲公園とその周辺が写っています。
清洲城は織田信長の居城で、永禄3(1560)年の桶狭間(おけはざま)の戦いの際もこの城から出陣し、天正10(1582)年の信長の後継者を決める清洲会議の舞台にもなりました。
明治30(1897)年頃から地元有志が保存活動をしていたこともあり、大正11(1922)年に清洲公園が開設されました。平成元(1989)年には清洲町の町制100周年を記念して、五条川をはさんだ対岸に清洲城の天守閣が鉄筋コンクリートで復元されています。
P20 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №8-2 C17-B(一部を拡大)
1 航空写真 愛知青少年公園周辺
愛知青少年公園の敷地面積は約200ヘクタールで、尾張と三河の境界に接しており、付近は山林の多い丘陵地で自然環境を生かして計画されました。
この写真は航空写真を拡大したもので、愛知青少年公園とその周辺が写っています。広大な敷地の中にはスポーツやレクリエーション、宿泊、集会等のための40余りの施設が設けられており、矢印の先はその施設の一部で、右から中央管理棟、宿泊棟、ロボット館です。
P24 昭和48年度撮影愛知県全域カラー航空写真 №10-2 C21B-26(一部を拡大)
2 中央広場付近写真 愛知青少年公園
この資料は愛知青少年公園内の写真です。中央管理棟の時計塔が見えることから、中央広場付近から撮った写真と思われます。
Q000000-C 愛知県昭和史収集写真 1899 (愛知青少年公園)
3 愛知青少年公園条例
この資料は、昭和45(1970)年10月16日に愛知青少年公園条例が制定された時のものです。条例では、愛知青少年公園を設置することやその名称、位置、使用料などが定められました。
A11782 条例原本 (愛知青少年公園条例)
4 愛知青少年公園 宿泊棟
宿泊棟は昭和46(1971)年に開館しました。桑原幹根知事により「愛青荘」と命名され、主に学校関係の合宿や企業の研修会・講習会に利用されていました。8人宿泊可能な部屋が60室あったほか、食堂や浴室、集会室なども備えられており、家族連れなども利用できる施設となっていました。
A19653 愛知青少年公園宿泊棟建築工事図面 (宿泊棟 南側・北側立面図)
5 愛知青少年公園 ロボット館
ロボット館は昭和46(1971)年に開館しました。漫画家の手塚治虫氏がプロデュースした芋虫型の建物で、昭和45年開催の大阪万博でフジパン株式会社が出展したものを移設しました。
多くの人に親しまれたロボット館は施設の老朽化等により、平成5(1993)年に閉館しましたが、その跡地には愛知県児童総合センターが開館しています。
A19661 愛知青少年公園ロボット館移設工事図面 (ロボット館 立面図)
6-1 ロボット館 巨人ロボット
ロボット館には、この図面の巨人ロボットをはじめとした19体(内、1体は昭和59(1984)年寄贈)のロボットが設置されていました。
ロボット館閉館後の愛知万博でも、一部のロボットが展示されました。また、現在も愛知県児童総合センター内で「ロボットシアター」として残されており、ロボットによる演奏会を見ることができます。
A19662 愛知青少年公園ロボット館移設工事変更図面始め3件 (巨人ロボット外観図)
6-2 ロボット館 巨人ロボット児童操作卓
6-1の巨人ロボットには、児童操作卓がありました。この図面によると、押しボタンスイッチが9個設けられていました。
A19662 愛知青少年公園ロボット館移設工事変更図面始め3件 (巨人ロボット児童操作卓 外観図)
7 愛知県二十一世紀万国博覧会誘致推進本部 看板
昭和63(1988)年にパリで開催されたBIE(博覧会国際事務局)の第104回総会で、日本は平成13(2001)年以降に行われる国際博覧会の開催国となる意思表明を行いました。
この事実上の立候補宣言により、愛知県は平成元(1989)年に鈴木礼治知事を本部長とする「愛知県二十一世紀万国博覧会誘致推進本部」を設置し、本格的な誘致に動き出しました。
この看板はその本部に掲げられていた看板で、およそ縦120㎝、横31㎝の大きさです。
木製看板 愛知県二十一世紀万国博覧会誘致推進本部
8 長久手愛知県館と瀬戸愛知県館
愛知県は、愛知万博で長久手愛知県館と瀬戸愛知県館を出展しました。
右上のポストカードに描かれているのは、長久手愛知県館です。そこでは、江戸時代から近未来までの愛知のモノづくりの系譜が描かれた「愛知モノづくり図絵」が展示されていました。左上の扇子の絵柄は、その図絵の一部が使用されています。
左下のポストカードに描かれているのは、瀬戸愛知県館です。そのライブラリー空間「森の書斎」には、江戸時代の本草家の高木春山が描いた博物図譜『本草図説』から絶滅が心配されている生き物たちが描かれていました。右下の扇子にもその絵柄が使用されています。
愛知県館記念グッズ ポストカード・扇子







![5-3 [第十回関西府県連合共進会]出品台帳第壱区](/upload/exhibition_contents/medium/10945598168ad526218c63.jpg)










