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【6】弘化2年11月27日 差上金請取につき名古屋町奉行所より信濃屋嘉八宛て覚書

【6】弘化2年11月27日 差上金請取につき名古屋町奉行所より信濃屋嘉八宛て覚書

基本情報

資料名 【6】弘化2年11月27日 差上金請取につき名古屋町奉行所より信濃屋嘉八宛て覚書
資料群名 愛知県立大学蔵熱田新田文書(B910002-001)
請求番号/資料名 00-00031-01/覚
詳細情報

解説

 この史料は、弘化2(1845)年11月27日に尾張藩の名古屋町奉行所から信濃屋嘉八に出された請取書です。信濃屋嘉八が差上金4年分を1度にすべて納め、町奉行所が領収したことを示しています。史料には「巳」としか記されていませんが、関連史料から弘化2年のものと推定しています。
 この史料の宛先である信濃屋嘉八は信濃屋嘉八郎・中井嘉八郎・関戸嘉八と表記されることもあり、信濃屋関戸家の人物であると思われます。信濃屋関戸家は、寛永21(1644)年名古屋蛯屋町(現名古屋市西区)で質屋を開業し、のちに米穀商として発展しました。幕末には尾張藩御用達商人の「三家衆」の一員になっています。御用達商人という制度は、尾張藩の中期以降、藩の財政難を救い、信用を失った藩札の信用維持に協力させるために作られた制度です。したがって、調達金を藩に上納するだけの資産があるかどうかで認定されました。この史料は、差上金を尾張藩に上納するなど、信濃屋関戸家が藩の財政を支えるほどの資産を持つ商家であったことを示しています。包紙には「地獄手形」と記されており、関戸家ほどの資産家であっても調達金の上納は非常に厳しいものであったことを示しています。

※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。

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