愛知の歴史資料

地籍図

本館が所蔵する地籍図(地籍字分全図)は、愛知県が明治17年(1884)の布達で県内の郡区役所や戸長役場に対し作成を命じたもので、県庁へ提出された正本に当たります。
地籍図には、明治17年1月1日現在の村界、字界、字名、一筆ごとの土地区画の形状、地番、地種、地目、道路とその道幅などが縮尺1200分の1で書き込まれており、池川や道路などは青や赤などに色分けされています。原則として1村が全図として1枚の和紙に描かれており、一部欠けているところがありますが、愛知県内のほとんどの地域のものを所蔵しています。原本保護のため複製図での御利用となります。

額田郡 岡崎市街

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基本情報

資料名 額田郡 岡崎市街
請求番号 額田郡1~25
解説 この地籍図には、岡崎市内の岡崎城周辺が描かれています。
 岡崎は、天正18年(1590)に岡崎城主となった田中吉政以降、城下町として整備されました。慶長6年(1610)頃、矢作川に矢作橋が架けられたことにより、東海道の道筋が付け替えられ、岡崎城下に引き入れられると、城下を通る東海道は、敵の侵入を阻んだり、見通しを悪くしたりする目的で設けられた屈曲が有名になり、「二十七曲り」と称されました。
 この地籍図が作成された明治17年(1884)には、岡崎城は既になく、天守のあった地域は公園となっています。周辺には額田郡役所や裁判所などがあります。「二十七曲り」は国道(「番外一番」と表示)となり、隣村の八帖村に続きます。
原寸法(cm) 187×261
関連情報 地籍図 額田郡 岡崎市街
地籍帳 額田郡 岡崎市街
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