愛知の歴史資料

所蔵資料紹介

(名古屋城下図  写)

[名古屋城下図](東加茂郡足助町小出家文書)

基本情報

資料名 (名古屋城下図  写)
請求番号 W4
解説  慶長15年(1610)徳川家康の命により着工した名古屋城は、元和2年(1616)初代藩主義直が入城して以降、江戸時代を通して尾張徳川家の居城でした。名古屋の城下町は、清須城下町の人家・社寺等や町名・橋の呼称まで移転させ(いわゆる「清須越」)整備された町であり、侍屋敷や寺は一定区画内に集中し、町屋の屋敷割は碁盤目状に整然と配置されていました。
 上の絵図には、この名古屋の城下町の様子が描かれています。城内のうち三之丸には、武家屋敷のほか天王社(現在の那古野神社の前身)や東照宮、尊寿院、秀忠以下歴代将軍の御霊屋(みたまや)が見受けられます。城の西には堀川が流れ、尾張徳川家先祖代々の菩提寺である建中寺は東方にあります。北西のはずれには志水家、北東には竹腰・成瀬・石河・渡辺家と、尾張藩に関わりの深い家々の広い屋敷地が目を引きます。絵図の南端は尾頭橋で、東本願寺掛所(現在の東別院)もあります。
 この絵図に描かれている場所は、現在の中・東区の大部分と西・北区の一部にあたります。
資料群 (東加茂郡足助町小出家文書)
詳細情報 (名古屋城下図  写)
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