愛知の歴史資料

県史収集資料室

一覧に戻る

【65】慶応2年11月 三河国凶作穀留につき幕府赤坂役所より廻状

基本情報

資料名 【65】慶応2年11月 三河国凶作穀留につき幕府赤坂役所より廻状
資料群名 新城市榊原淳一郎氏収集資料(B730008-001)
請求番号/資料名 03-00020/赤坂御役所廻達写
詳細情報 赤坂御役所廻達写

解説

 この史料は、慶応2(1866)年11月20日に領地の村々に対し、穀物が不足する中で目先の利益に飛びついて自分勝手に穀物を商人へ売り渡さず、国内でのみ流通させるよう要請したことを伝える赤坂役所(現豊川市)よりの廻状写しです。領内からの流通統制、いわゆる「津留(つどめ)」「穀留」と称されるものです。
 史料中には、思いがけない凶作で「賤民(せんみん)」が絶えず飢えに至っているなど、当時の厳しい状況を伝える文言がみられます。恣意的に利益追求を目指す商人の姿も想起できます。また、穀物の値段の高騰が民意までも左右するという、現在とは少し違う社会の構図も見えているように思われます。さらに、三河国の流通経済においては尾張商人の活動が注意・問題視されていたことがわかります。幕末の三河国の社会状況が鮮明に映し出されている大変興味深い史料です。
 なお、こうした廻状は現代で言う回覧板のようなものであったと考えられますが、それぞれの村にはこうした文章をきちんと理解できる者が存在していたことがうかがえます。当時、武士や村役人身分でない人々でも文字を用いた情報伝達を行っていました。
 なお、【64】は関連史料で、交代寄合については【43】をご覧ください。

※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。

PAGE TOP
メニュー