基本情報
資料名 | 【64】慶応2年11月 幕府赤坂役所よりの津留触につき旗本菅沼家役所から知行所村々宛て廻状 |
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資料群名 | 新城市榊原淳一郎氏収集資料(B730008-001) |
請求番号/資料名 | 03-00087(72)/ (触書) |
詳細情報 |
(触書) |
解説
この史料は、慶応2(1866)年11月20日に交代寄合旗本の新城菅沼家役所から知行所村々に出された廻状で、幕府赤坂役所(現豊川市)よりの津留(つどめ)触れを別冊として伝えるものです。【65】が別冊にあたります。
津留とは、米穀その他の物資の他領との移出入を領主が制限・停止したことをいいます。赤坂役所から三河国内の各大名や諸旗本役所に宛てて出された触れを受けて、菅沼家役所が自分の知行所に触れ廻したものです。「下平井村より三蔵子村(さんぞうごむら)迄」とあり、現在の新城市から豊川市に至る地域が菅沼家の支配地であったことがわかります。20日の真夜中に山村から受け取った西杉山村が写しを取って、21日早朝に東杉山村(ともに現新城市)に順達しました。この年は全国的な凶作と飢饉に見舞われましたが、三河国内も同様で、飢饉の回避と経済的混乱を避けるため、一時的な津留の対応がとられたとみられます。
なお、交代寄合については【43】をご覧ください。
※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。