基本情報
資料名 | 【60】慶応2年6月 麦年貢納入につき旗本菅沼家役所より知行所村々宛て廻状 |
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資料群名 | 名古屋市吉田家文書(B010034-001) |
請求番号/資料名 | 03-00087(38)/ (触書) |
詳細情報 |
(触書) |
解説
この史料は、慶応2(1866)年6月24日に交代寄合旗本の新城菅沼家役所より麦年貢納入に関し下平井村(現新城市)より三蔵子村(さんぞうごむら/現豊川市)までの知行所村々に出された達しを廻状形式で知行所村々に順に廻したもので、西杉山村(現新城市)の庄屋が写しを作って書き留めたものです。このように役所や幕府などから出された法令や触書が村から村へ順達され、それを各村で書き留めたものを「御触留」あるいは「御触書」といいます。この触書は、6月24日の暮6つ半時(午後7時頃)に山村(現新城市)から受け取り、その後東杉山村(現新城市)に廻したことがわかります。
内容は、6月28日に麦年貢を納めること、麦値段(相場)は金10両につき麦7俵、金1両を銭7貫100文とすることが記されています。このことから、麦年貢は現物ではなくお金で納入されることも多かったと考えられます。6月にこの触書が出されているのは麦の収穫時期が旧暦5月(新暦6月)頃だったからです。当時の麦は秋から初冬に種を撒き、翌年の初夏に収穫する作物でした。
なお、【59】は関連史料で、交代寄合については【43】をご覧ください。
※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。