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【55】文久3年7月 朔平門外事件につき旗本菅沼家役人より知行所村々宛て触書

基本情報

資料名 【55】文久3年7月 朔平門外事件につき旗本菅沼家役人より知行所村々宛て触書
資料群名 新城市榊原淳一郎氏収集資料(B730008-001)
請求番号/資料名 03-00086(44)~(45)/ (幕府触書)ほか
詳細情報 (幕府触書)

解説

 この史料は、文久3 (1863)年7月1日に交代寄合旗本の新城菅沼家奉行人(役人)から知行所村々に出された廻状の写しです。同年5月20日の夜に姉小路少将(公知)が京都の朔平門外(さくへいもんがい)で暗殺される事件が起こり、下手人の探索を命じる触書が公儀(幕府)から出されました。それを受け菅沼家が自らの知行所に通達を出したものです。
 京都で起こった事件の手懸かりを全国に求めるということは、当時この事件がいかに重大なものであったかを示しています。姉小路公知(あねがこうじきんとも)は、攘夷強硬派として有名で、禁中を警衛し皇族や高官を護衛する任にもついていました。その姉小路公知の暗殺は政局を一気に混乱させるもので、この後の八月十八日の政変へとつながっていきます。
 史料にあるように、下平井村(現新城市)から三蔵子村(さんぞうごむら/現豊川市)までの村々に対し、幕府の指示どおり、どんな些細なことでもいいので申し出るよう、漏れなく伝えるよう指示が出ています。この触書は西杉山村(現新城市)が山村(現新城市)から受け取り、写しを作って直ちに東杉山村(現新城市)に順達しました。
 なお、交代寄合については【43】をご覧ください。

※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。

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