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【53】文久3年3月 紀州家本坂道通行の人馬触れにつき嵩山宿会所より月ヶ谷村から今出平村までの村々宛て廻状

基本情報

資料名 【53】文久3年3月 紀州家本坂道通行の人馬触れにつき嵩山宿会所より月ヶ谷村から今出平村までの村々宛て廻状
資料群名 新城市榊原淳一郎氏収集資料(B730008-001)
請求番号/資料名 03-00086(19)~(20)/ (幕府触書)ほか
詳細情報 (幕府触書)

解説

 この史料は、紀州藩主の本坂通(東海道の脇街道)通行に人馬を出すよう宿村々に道中奉行から出された触書の廻状を、書き留めたものです。嵩山宿(すせしゅく/現豊橋市)に人馬を扱う会所があり、そこから月ヶ谷村(わちがやむら/現豊橋市)から今出平村(こんでひらむら/現新城市)までの村々(多くが交代寄合旗本の新城菅沼家知行所)宛てに出されました。西杉山村(現新城市)の庄屋が石田村(現新城市)から受け取って、写し取ったあと直ちに山村(現新城市)へ順達されたことがわかります。
 道中奉行からの人馬触れはおそらく街道の宿村ごとに順番に廻っていったと思われますが、宿場会所では写しを取りその内容を入れた新たな廻状を作成して、自らの宿場に人馬を差し出す周辺の関係村々に向け廻状を廻したと思われます。なお、道中奉行からの触れは納村(最後の村)から浜松宿へ返され、そこから宿継で道中奉行に戻されることになっていました。
 廻状のルートを見ることで、当時の地域のつながり、さらには地域認識を知る手がかりになります。加えて、文書の内容を記入した日時が記載されているので、この文書の移動にかかった時間を計ることが出来るため、当時の情報伝達の速さを知る上でも貴重な史料と考えられます。
 なお、交代寄合については【43】をご覧ください。

※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。

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