愛知の歴史資料

県史収集資料室

一覧に戻る

【51】文久3年2月 宗門人別改帳など作成につき旗本菅沼家役所より知行所村々宛て廻状

基本情報

資料名 【51】文久3年2月 宗門人別改帳など作成につき旗本菅沼家役所より知行所村々宛て廻状
資料群名 新城市榊原淳一郎氏収集資料(B730008-001)
請求番号/資料名 03-00086(02)/ (触書)
詳細情報 (触書)

解説

 この史料は、文久3(1863)年2月1日に、交代寄合旗本の新城菅沼家役所より下平井村(現新城市)から三蔵子村(さんぞうごむら/現豊川市)までの知行所村々に出された、宗門人別改帳等の作成にかかわる廻状の写しです。宗門帳を作成する際には、例年通り大直紙(おおなおしがみ/大判の美濃紙)を使用して本帳を作成し、2月晦日までに内吟味を受けること、および五人組名前書上帳を差し出すことが命じられています。
 宗門帳は、毎年作成するため「例年之通」とある一方、五人組帳は必ずしも毎年作成するものではないため「昨年之通」との表記になったと思われます。文久年間(1861~1864)は、東禅寺事件(攘夷派志士が高輪東禅寺におかれたイギリス公使館を襲撃したもの)や坂下門外の変(水戸浪士を中心とした尊王攘夷派の浪士が老中安藤信正を襲撃したもの)、生麦事件(騎馬のイギリス人が薩摩藩主の父である島津久光の行列を乱したとして薩摩藩士によって殺傷されたもの)が起きるなど幕末の動乱期にあたります。昨年に続いて五人組帳提出の命令が出されたのはそうした社会情勢のなか、正確な人身把握が必要だったからかもしれません。
 なお、交代寄合については【43】をご覧ください。

※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。

PAGE TOP
メニュー