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【48】天保14年8月 質素倹約および盲人統制などにつき旗本菅沼家役人加藤柳助より知行所村々宛て廻状

基本情報

資料名 【48】天保14年8月 質素倹約および盲人統制などにつき旗本菅沼家役人加藤柳助より知行所村々宛て廻状
資料群名 新城市榊原淳一郎氏収集資料(B730008-001)
請求番号/資料名 03-00060(65)~(67)/ 大目付江(幕府触書)ほか
詳細情報 大目付江(幕府触書)

解説

 この史料は、天保14(1843)年8月に交代寄合旗本の新城菅沼家の役人である加藤柳助が幕府の天保の改革にかかわって知行所村々へ通達した廻状です。町人の衣服の倹約についてと、盲人の悴は盲人男性の互助組織である当道座の高官「検校(けんぎょう)」の支配を受けるべきことについての2件で、同年8月に幕府よりの触書として記され、触書の結びには村中の百姓(「小前(こまえ)」)と小寺に洩れ無く伝えるように指示されています。
 町人の衣服の規制については、前年に既に触書が出されていたにも関わらず、絹や縮緬、手の掛かる高価なものが売り買いされている状況を「不埒」とし、改めて規制の厳守を呼びかけています。盲人の悴については、琴や三味線、針治療を生業とする者は、今後は検校の支配を受けるように改める旨が示されています。これは、構成員の拡大によって当道座の運用資金を賄おうとしたためであったと推測されます。上記のような倹約、資金運用の制約によって、天保の飢饉にはじまる苦境を乗り越えようとしていたことがうかがえます。
 なお、交代寄合については【43】をご覧ください。

※この解説文は、愛知県立大学の学生が博物館学の講義の際に作成した解説文を基に作成しています。

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